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空前のハンズフリー時代
道ゆく人がハンズフリー。
ハンズフリーはハンズ(手)がフリー(あく)ことを指すのでスマホを片手で歩いている人よりも良いと感じていました。
ところがコロナでリモートワークが増えてから喫茶店の中でハンズフリーするようになりました。
これがなかなかうるさい。
ニンニクの上位互換級
ニンニクの臭いってって食べた本人は気づかないけど、周りは困るじゃないですか。
ハンズフリーはニンニクの上位互換だと思っています。
災害の1つと言い切ります。
「やめろ!」
とは思いますが、行動に出すまでもないかなという状況。
本人がまずいと思わない限り言っても変わりません。
そんな時は移動します。
自分が電話をかけるor出る時には一旦外に出て話しますし、長くなりそうなら待ってる人に申し訳ないので退店して話をします。
これは5年前までの一般感覚ですが、今でも気持ちよく過ごすためのルールだと思っています。
オオカミ少年のシーン
先日、バスに乗っていて交差点で止まったところでそれは起こりました。
カタコトの外国人が交差点で助けを求めていたのです。
みんな知らんぷり。
行き先を聞いているようでしたが、とにかく知らんぷり。
東京は冷たいと言いますが、みんな困ってるし人数が多すぎるので、声をあげたら助けてくれる優しい街。
ほっといて欲しい時はほっといてくれる優しい街なのですが、耳を見て、
ん?
と思いました。
ヘッドホンをつけていたのです。
多くの人は他人に興味がありません。
隣で話をしていても聞かないじゃないですか、基本的には。
東京では店の中でも絶叫という名のハンズフリー(ボイスフリー)が飛び交っています。
ニンニクの上位互換ですから本人だけ絶叫してるだけと感じられていることがわからない。
電話?
独言?
ミーティング?
誰かと戦ってる?
カラオケ?
セリフの練習?
これが声がデカいだけで実にわかりません。
平時ならそれで良いのですが(良くない)、有事かどうかわからないのが問題なのです。
これってオオカミ少年に似てるなと感じました。
困ってるのかヤバい奴なのかわからない
東京は道や電車の中で叫んでいる人がいっぱいいます。
目が血走ってる人ならわかるかもしれませんが、普通の人がいるのですよ。
そしてハンズフリーな人は平時か有事かわからない。
だとしたら、ヘッドホンをして泣き叫んでいても誰も助けない。
本当は困っているのに、いつものハンズフリー?演技練習かもしれない?
=オオカミ少年認定?
そこまで見たらバスが動き出しました。
自由とは大いなる責任が伴い、世界が変わっていく
昔、街角で携帯電話で話す人が煙たげられていた時代がいました。
それがハンズフリーに変わりました。
便利なのでしょう?
それが絶叫になり、蛇行になり、逆走になってたら?
自由とは大いなる責任が伴います。
ハンズフリー=マトモかヤバいのかわからない奴=関わらない方が良い
つまり東京は本当は助けてくれる親切な街だったのに、本当に冷たい街になったのかもしれません。
防災的に困りましたねえ。
個人的には他人を意識するとは意味が違うのですが、なるべく他人にわかりやすい動きを心がけます。
道路のど真ん中を歩かないというだけでもすれ違いで右へ左へとお見合いせずイライラすることがありません。
この話もこのサイトに書かれていることも、全て私の感覚です
全て正しいとは思っていませんが、
- こういうことが起こり
- こう考えて
- こう判断しました
と書くようにしています。
あくまでも成功体験や失敗体験です。
人や場所、環境が変われば判断は当然変わります。
だからこうした方が良いのではないかと思うけど、こうしろとは言いません。
ただ、自分の意見だからなるべく言い切るようにしています。
今回の話みなさんはどう感じますか?
私は防災という
コメントくださいなんて言いませんが、思うだけじゃなく行動で表現していきましょう!
という事で私は新しいアイデアが良いと思いまで、旧石器時代のごとく街中でハンズフリーしないようにします!
・・・次はヘッドホンの話もしないとですね。
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