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便利はどんどん活用すべき、だけど
例えば、スーパーで前に並んでいる人が麻婆豆腐の素を10パック、その他レトルトをカゴに入れている。
キャンプで使うのかもしれないし、10日連続で食べるのかもしれないし、防災食かもしれない。
恐らく1パック3人前ということは30人前。
カレーとシチューと麻婆豆腐の素をカゴに山盛りなんてのも見たことあります。
普段、周りの人が何を買ってるかなんて気にしていないけど、私からは異様に見えるレトルトパックの山は視界に入るわけです。
そしてその人がどう使うかなんて興味はないとは言え、5人前10人前の麻婆豆腐を作るならこう思うわけです。
レトルト使わない方が簡単なのでは?
味が決まるとはいえ、お店の味には近づけない
これは事実です。
そして自分で作った方がキレの良い味が出せる。
レトルトが悪いなんて絶対言わないけれど、その場で調理する訳ではないから色々混ぜます。
それは添加物という視点ではなくて、混ぜれば混ぜるほど味はぼんやりするからです。
どんなに料理が苦手な人でも20年作ればある程度の味は出せます。
麻婆豆腐も同じなのです。
そのチャンスを捨てるのは勿体無い、レトルトを使ったら時短できるものでもありません。
豆腐、ひき肉、豆板醤、スープ、片栗粉、そして麻=山椒
基本はこれだけ。
甘辛くしたければ砂糖(甜麺醤やオイスターソース)をちょっと入れてもいいし、風味を加えたければごま油(サテトムというエビラー油もなかなかです)、XO醬も美味しい。
でも入れなければ入れないでも問題なし。
語源的には山椒を食べる豆腐料理というのがポイントなのです。
江戸時代までは値段がなかった?
恐らく大衆食堂は値段があったと想像しますが、料亭は値段がなかったそうです。
この食材を使ってこれだけの仕事をしたのだから、これくらい置いていこう。
性善説に基づいたというのもあると思いますが、ある意味価格の当てっこ。
お客様が測られ、外れたら次は利用できない?
みたいな時代があったそうです。
使っている食材、鮮度、調理技術、盛り付けから値段を出す。
言わないのが正しいのかはここでは問題ではなく、ここでは正しい値段が割り出せるか?正しい判断が下せるか?という話です。
正しいかを決めるのは自分だけ
この世は等価交換。
商品やサービスとお金をトレードしているだけです。
なのにそうは感じないのは何故でしょうか?
ラーメンが1000円超えると高いと感じますが、現代を考えると仕方ないと感じます。
一風堂は海外では2000円超えらしいです。
自分の給料が上がって欲しいのはラーメン屋さんも同じ。
材料費や賃料も上がって、キャッシュレスの手数料まで支払ってます。
それが理解できればラーメンが1000円なのにコーヒーが500円なのか理解できます。
計算すれば全然ぼったくりではありません。
世の中はレトルトに始まりブラックボックス化してしまいました。
個人的にレトルトは使いますし、内容に不満もありません。
ただ、そんな時代だからこそ、シンプルに組み合わせる生活を送らないと見えない世界があるのも事実。
麻婆豆腐作ろう!
あれとあれとあれというように出てくる筈が、箱の裏の取説を読んで買うようになったら危険サインかも。
防災も同じく、災害が起こった時にあれとあれとあれが必要と判断できない。
日頃から分解して組み立てる生活をしてないと、災害時には動けません。
多くの便利が発達して、多くの処理ができる現代になりましたが、その原点は自分の時間を作る事だったはず。
何が動いているのかもわからなくなっていたら、シンプルでちょっと原始的な生活を取り入れてみるのが良いのかもしれません。
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